どんぐり備忘録

アラサーOLのブログ 映画、暮らし、日々の記録

自分の顔を好きになりたい

こんにちは。どんぐりです。

 

ここ1年ずっと、二重整形を受けるか悩んでいる。

 

さいころからずっとブスと言われて育った。

親戚や近所に同じ年ごろの女の子が多くて、

今写真を見ると、確かにダントツでブス。

系統の似ている顔なはずの姉や従妹たちと比べても、私がいちばんブス。

親戚が集まると、叔父からぶさいくと呼ばれるのがすごく嫌で、よく部屋にこもって泣いていた。

顔の作りの悪さに加え、両親と離れて暮らしていたこともあり、

髪型も変だし服装も古めかしく、手をかけられていないことが伝わる、

全体的に「かわいくない子供」だった。

クラスの他の子たちよりかわいくないことは自覚しつつも認めたくなくて、

笑うことが苦手で、常に無表情の写真ばかり残っている。

 

高校入学前にアイプチを猛練習した。

鏡に映る顔は少しだけましになっていた。(気がする)

他校の男の子に連絡先を聞かれたり(たった一人だけど!嬉しかったのでよく覚えている)、

初めての彼氏ができたりして、喜んでいた。

でも常に汗や水におびえて、しょっちゅう瞼に触って、二重が崩れていないか心配していた。

 

初めての埋没手術を受けたのは、大学に入学してすぐだった。衝動的だった。

当時、片思いしている先輩がいて、結局実らなかったんだけど、そのことを男友達によく相談していた。

飲み会の場で、今日も先輩から返信こないとか、愚痴った記憶がある。

「お前はブスだから、適当に遊ぶ分にはいいけど、彼女にしたくないんだろうね。」

と返されて、血の気がひいた。

多分彼は半分冗談で言ったのかもしれない。よくいじられていたし、

普通にふたりで遊びにいく仲だったし、笑って流してほしかったのかもしれない。

でももともと容姿にコンプレックスが強く、先輩への恋も不毛なことばかり続く日々の渦中にいた私には、言葉が鋭すぎた。

その飲み会の翌日にはクリニックのカウンセリングをいれ、最短でとれる手術の日を予約していた。

 

衝動的すぎたし、若くてお金もなく、馬鹿だったので、

口コミを読んだりカウンセリングを比較したりすることもなく、最安値のクリニックだった。

手術への怖さや周囲へバレる不安などよりも、あの一言がショックで辛すぎて、それを打ち消したくて、何とかしなければ、という思いしかなかった。

 

知識もなく浅はかで、よく冷やすこともせず、腫れは長引いた。

数か月間は違和感のある顔だった。当時の写真は恐ろしくて見返すことができない。

そんなに変な顔なのに私は満足していた。二重だから、ブスじゃないと思い込んでいた。

ダウンタイムがとれず、術後2,3日でアルバイトや授業に出た。

友人たちからつっこまれたが、アイプチで二重になったという苦しい言い訳で通していた。

 

 

(ちなみに恋していた先輩は、驚いた顔で二重にしたんだ、と呟き、前もかわいかったけど、

 そういうのも似合うね。と言ってそれ以上何も聞かなかった。

 これまた私にとって100点満点の答えで、そんな誰にでも優しいところが当時は好きだった。)

 

手術から4年後くらいに、糸がきれたのか、二重がずいぶん薄くなった。

見ようによっては一重?奥二重?というレベルで。

アイメイク薄くしたんだね、と1.2人に言われたけど、そこまではつっこまれなかった。

でも私はこれくらいの二重がいちばん好きだった。濃いパーツは私の顔には合わないことを知った。

 

そして昨年。完全に一重になった。

「一重っぽい」ことと、「完全な一重」は目の開き方が全く違う。

かろうじてあった目力が全くなく、黒目に光が差さないので漫画のような糸目になる。

また鏡をみて落ち込む日々が再スタートした。

もうアイプチはしたくない。

アトピー持ちで、瞼がかゆいし、アイプチだと他人にばれる方が嫌だ。

それなら一重の顔でいる方がまだいい。

若いときは気にしていなかったそのようなことが今は気になる。

 

昔の自分と違うことは、

化粧した自分の顔はまあまあ好きになれた。

大好きとまではいかないけど、以前みたいに嫌悪感を抱くことは少ない。

化粧技術があがったのかもしれないし、単純に年数を経て見慣れたこともあるかもしれない。

 

でも、すっぴんを見たときの絶望感。

 

一重でもかわいい友人を私は結構たくさん知っている。

巷でいわれる、一重=ブスでは絶対にないと思う。

ただ、私の目は確実に、不細工なパーツであり、受け入れることができない。

 

この1年間、なんとかして自分の顔を好きになりたいと試行錯誤していた。

自己肯定感の高いyoutuberの動画を見て、おかげですっかりそわちゃんのファンになった。

毎日すっぴんの写真を撮って、無理やり目に焼き付けて、見慣れることで絶望感を打ち消せないかと思ってやってみた。

これはちょっと病的になり、いろんな角度で動画や自撮りを撮影するようになった。

まつげパーマを当ててみた。アップになるとかわいいかも、とほんの少しだけ思えるようになった。

「笑った顔が好き」「たれ目な目じりが好き」と言ってくれた歴代の彼氏たちの思い出を反芻した。

目ばかり見なくても、髪や肌に手をかけて、雰囲気だけでもきれいになれないかと努力した。

 

一方で、ズーム飲みが増えて、お風呂上りのすっぴんでも美しい友人たちとどうしても比べてしまう。

 

 

電波が弱いからと理由をつけてビデオをオフにしてしまう。

 

以前は、二重整形を受けることに迷いがなかった。

ただ、今は、リスクと天秤にかけて、すぐに1歩が踏み出せずにいる。

悶々と症例の写真を眺めては、フチの太目のめがねをかけて外出している。

 

埋没整形における「リスク」って、手術の失敗や周囲バレはもちろんだけど、

いちばん大きいのは「とれる不安」や「とれた後の感情」じゃなかろうか?

かといって切開でメスを入れる勇気はない。

 

また埋没整形をして、とれてしまったらどうしよう。

またこんな思いを味わいたくない。だったら、今の顔を受け入れられないだろうか。

と自分なりに努力しつづけて1年が経過した。

未だにお化粧を落とした自分の顔を直視できない。

 

自分の顔が好きだと胸をはって言える日はくるだろうか。